追悼橋田寿賀子|「おしん」の遺言

橋田寿賀子さん自身、「おしん」は、経済だけを追い求める80年代日本人に対する警鐘をならすために書いたと仰っています。

「おしん」から私たちが何を学び、何を受け継ぐべきなのかについて「おしん」を未来志向で見てみます。

男性だけに頼ることの危うさ

平成、令和になって若い男女は素晴らしく賢くなっています。

バブルの頃のドラマは、主婦になるか、自立するかの二者択一でしたが、令和の世の中若い世代はどちらか一方に寄りかかって生計をたてることに危うさを十分に理解しています。

男子が家庭科を科目としてこなし、立派に一人暮らしできる、これを進歩と言わずしてなんというのでしょう?

それに引き換え、「おしん」に出てくる男性は、全てダメダメ。

女は台所で全てを支え、食事する時間まで別なんて今ではパワハラです。

そこまで女に支えてもらっても、商売は失敗続き、挙句の果てに女房をおいて自殺。

橋田先生ご自身が戦中の生まれで、結婚相手が戦争に行ってしまい、そもそも男性がいなかった世代。

おしんは、男性に頼って生きるどころか、男性と家族を食べさせる生活力300%の女性に描かれています。

最低限、自分で食べていけるようになってほしいというのが、橋田先生からのメッセージが聞こえてきます。

「居場所」は自分でつくる

おしんと同僚の奉公人の娘達がいろんな形で口に出す言葉は

「居場所がない」

実家に戻っても、長男の嫁の手前居づらく、結婚したいがそう簡単に良い結婚相手なぞ見つからない。食べてゆくためには働くしかない。

これは現代にも通じるキーワードだと思う。

戦前日本は、空前絶後の不景気で、女性は奉公に出て仕送りか下手すれば身売りでした。

当然都会には、田舎から働きに来ていた女性が溢れていたわけで、その中で競争して生き残らなけらば仕事にもありつけなかった訳です。ボーっとしてたら自分の働く場所は他人にとられてしまう。

自分の居場所を自ら開拓しなくてはならない。

これは今の時代にも通じる厳しさのように思えます。

選ばなければ仕事はありますが、ボーっとしてたら一生使われる身で終わってしまう。AIによって仕事が単純化と高度化とに二極化してゆく中で、何をすれば生き残れるのか。

正解はないけれど、自分で考えて、行動して答えを見つけて行くしなかい。

70年前と現代で共通する厳しさだと思います。

日本はホントに「豊か」なのか

橋田寿賀子先生は、「おしん」を80年代日本に対する警鐘として書いたと言っておられます。

日本人は、豊かになることだけを考えて突っ走ってきた、もうこれ以上豊かになる必要はないのではないかと。

戦中・戦後の悲惨さを知る橋田先生からみれば、日本は十分に「豊かになった」と思われたのでしょう。

「身の丈を知る」ことが幸せにつながるという主旨のことを橋田先生は書いておられます。

でもね、橋田先生。

今、日本はホントに「豊か」なんでしょうか?

高度成長期以降の我々にとっては皮肉なことに、これが「当たり前」の状態です。

バブル景気のおかげで日本人は海外旅行に繰り出し、日本の住居がいかに狭くて貧しいかを目の当たりにしました。

「今のままで十分豊でしょう?身の丈にあった生活をしなさい」と橋田先生に言われても、直に聴ける日本人はどれだけいるのか、正直疑問です。

日本は、まだ「豊か」とは言い難いと思います。

特に住環境、時間を含めた生活環境において、先進国でこれほど貧しい国はない。

むしろ、貧しくなったものもある

「おしん」は小学校も出ていません。がドラマには「おしん」を助けたり、教えてあげたりする人が多数登場します。

もちろんドラマなので、かなり脚色されているでしょう。

が、戦前には、仕事や奉公を通じて
・赤の他人にお説教
・お節介な助言
・カネの貸し借り
・過剰な親切
・困ったときは相談
という”濃い”人間関係があったのではないかと推測できます。

地元から遠く離れて、身近に保険もカードローンも職安もセーフティネットもない東京で生き抜くには、遠くの親戚より身近な他人同士で助け合うのは当然のことだったかもしれません。

とはいえ、人対人の”情け”は今よりもずっと濃かったのではないでしょうか?

礼儀作法や言葉遣い、挨拶態度等は、奉公先で教えて貰うことも多かったそうです。そして奉公人を雇う側も、それなりに教育をした。

知識という通りいっぺんのことではなく、社会で生きてゆくための態度、他人との接し方、挨拶、人としてやってはいけないことを教える”知恵”が社会全体にあったのではないか。

私は右寄りの人間ではないですが、これは、今の学校教育で一番欠けていることではないかと思います。

「おしん」の遺言

「おしん」の中で、お年寄りに橋田先生が語らせる言葉は、橋田先生からのお説教のような気がしています。

「おしん」が「どこで間違ってしまったんだろうね」というのは、一体何だったのでしょう。

身の丈にあった幸せというのは、私は少し違うと思うのです。バブル以降の日本人は、上には上があることを知ってしまったので、今更「身の丈」と言われてもね。

むしろ我々現代に生きる者に残された課題は「豊かさを再定義する」ことだと思います。

時間を含めた生活の豊かさ、心の豊かさとそれを支える”哲学”があるか。

人間は月に旅行にゆき、AIが人にとって代わる時代において、真の「豊かさ」とは何なのか。

これが橋田先生が我々に残した宿題に思えてなりません。

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